記事にPRを含む場合があります

アントニオ猪木の「元気があればなんでもできる」「道」全文

ライフ
ライフ

アントニオ猪木による有名なことばに、「元気があればなんでもできる」「道」などがあります。

一部だけではなく、有名なフレーズの前後含めて知りたいという人のために、この記事ではそれぞれの全文について紹介します。

アントニオ猪木の「元気があればなんでもできる」全文

「元気があればなんでもできる」の前後を含めたものは下記のとおりです。

元気ですかと問い掛けた上で、最後はダーッという掛け声で締めるという猪木の有名なフレーズですね。

元気ですか?元気があれば何でもできる!

1、2、3、ダーッ!

アントニオ猪木の「道」全文

この言葉は、人生における決断や挑戦に対する猪木の姿勢を表しています。

道の先がどうなるかは分からないが、恐れずに一歩踏み出せば、道は開けるというメッセージです。

人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います。

この道を行けばどうなるものか、危ぶむなかれ。 危ぶめば道はなし。

踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる。

迷わず行けよ、行けばわかるさ。

猪木は、この言葉をプロレスラーとしてのキャリアにおいても実践してきました。 猪木の「道」は、単なる言葉ではなく、彼の人生そのものであり、多くの人々に勇気と希望を与えてきました。

迷ったときは、この言葉を思い出し、一歩踏み出してみるのもよいでしょう。

アントニオ猪木の有名な挑戦

アントニオ猪木は、プロレスラーとしてのキャリアにおいて、数多くの挑戦をしてきました。その中でも、特に有名なものをいくつか挙げてみましょう。

プロボクシング世界ヘビー級王者、ムハマド・アリとの異種格闘技戦

1976年、猪木は当時プロボクシング世界ヘビー級王者だったモハメド・アリと異種格闘技戦を行いました。この試合は、プロレスとボクシングの垣根を越えた一大イベントとして、世界中から注目を集めましたが、結果は引き分けでした。

新日本プロレスの旗揚げ

クーデターを起こしたとして日本プロレスを追放された猪木は、1972年に新日本プロレスを旗揚げしました。力道山亡き後のプロレス黄金時代を築きました。

参議院議員への当選

1989年、猪木は参議院議員選挙に当選し、政治家としての道を歩み始めました。猪木は、国会議員として、イラク人質解放や北朝鮮とのパイプ作りなど、さまざまな活動を行いました。

猪木の挑戦は必ずしも成功したものばかりではありませんでした。しかしながら、その姿は多くの人々に勇気と希望を与え、日本のスポーツ界や社会に大きな影響を与えました。

アントニオ猪木の引退会見全文

アントニオ猪木は1998年4月4日に引退会見をしました。

その時の全文は次のとおりです。

私は今
感動と感激そして素晴らしい空間の中に立っています
心の奥底から湧き上がる皆様に対する感謝と熱い思いを止めることができません

カウントダウンが始まってからかなりの時間が経ちました
いよいよ今日はこのガウンの姿が最後となります

思えば右も左もわからない
一人の青年が力道山の手によって
ブラジルから連れ戻されました
それから38年の月日が流れてしまいました

最初にこのリングに立った時は興奮と緊張で
胸が張り裂けるばかりでしたが
今日はこのような大勢の皆さんの前で
最後のご挨拶ができるということは
本当に熱い思いで言葉になりません

私は色紙にいつの日か闘魂という文字を書くようになりました
それを称してある人が「燃える闘魂」と名付けてくれました

闘魂とは己に打ち勝つこと
そして戦いを通じて
己の魂を磨いていくことだと思います

最後に私から皆さんに
皆さんにメッセージを送りたいと思います

人は
歩みを止めた時に
そして
挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います
この道を行けばどうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ

ありがとう

猪木の挑戦は、現代の私たちにも多くの示唆を与えてくれます。

それは、常に新しいことに挑戦し、不可能を可能にすること。そして、失敗を恐れず、前向きに進むことです。