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宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の読み方と意味について|全文ふりがな(ひらがな)付き

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この詩は、宮沢賢治が1935年に発表した詩です。全編カタカナで書かれており、冒頭の「雨ニモマケズ」というフレーズは、宮沢賢治の代表的な言葉として知られています。

本記事では、雨ニモマケズの全文と、この詩の意味について解説します。

雨ニモマケズの全文は下記の3パターンで記載しています。

  • 原文にふりがな付き
  • 原文のまま
  • ひらがな全文

「雨ニモマケズ」の読み方|ふりがな付き全文

雨ニモマケズの全文とふりがなです。全文に対してふりがな(ルビ)を振っています。

雨ニモマケズ
あめにもまけず

風ニモマケズ
かぜにもまけず

雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌゆきにもなつのあつさにもまけぬ
丈夫ナカラダヲモチ
じょうぶなからだをもち

慾ハナク
よくはなく

決シテ瞋ラズけっしていからず
イツモシヅカニワラッテヰルいつもしずかにわらっている
一日ニ玄米四合ト
いちにちにげんまいよんごうと

味噌ト少シノ野菜ヲタベみそとすこしのやさいをたべ
アラユルコトヲあらゆることを
ジブンヲカンジョウニ入レズニじぶんをかんじょうにいれずに
ヨクミキキシワカリ
よくみききしわかり

ソシテワスレズ
そしてわすれず

野原ノ松ノ林ノ蔭ノのはらのまつのはやしのかげの ※「蔭」の「陰のつくり」に代えて「人がしら/髟のへん」、第4水準2-86-78
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
ちいさなかやぎぶきのこやにいて

東ニ病気ノコドモアレバ
ひがしにびょうきのこどもあれば

行ッテ看病シテヤリ
いってかんびょうしてやり

西ニツカレタ母アレバ
にしにつかれたははあれば

行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒいってそのいねのたばをおい[#「朿ヲ」はママ]
南ニ死ニサウナ人アレバ
みなみにしにそうなひとあれば

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
いってこわがらなくてもいいといい

北ニケンクヮヤソショウガアレバ
きたにけんかやそしょうがあれば

ツマラナイカラヤメロトイヒ
つまらないからやめろといい

ヒドリノトキハナミダヲナガシ
ひどりのときはなみだをながし

サムサノナツハオロオロアルキ
さむさのなつはおろおろあるき

ミンナニデクノボートヨバレ
みんなにでくのぼうとよばれ

ホメラレモセズ
ほめられもせず

クニモサレズ
くにもされず

サウイフモノニ
そういうものに

ワタシハナリタイ
わたしはなりたい

南無無辺行菩薩
なむむへんぎょうぼさつ

南無上行菩薩
なむじょうぎょうぼさつ

南無多宝如来
なむたほうにょらい

南無妙法蓮華経
なむみょうほうれんげきょう

南無釈迦牟尼仏
なむしゃかむにぶつ

南無浄行菩薩
なむじょうぎょうぼさつ

南無安立行菩薩なむあんりっきょうぼさつ

雨ニモマケズ全文のみ

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ※
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ[#「朿ヲ」はママ]負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩

雨ニモマケズ(ひらがな)

あめにもまけず
かぜにもまけず
ゆきにもなつのあつさにもまけぬ
じょうぶなからだをもち
よくはなく
けっしていからず
いつもしずかにわらっている
いちにちにげんまいよんごうと
みそとすこしのやさいをたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうにいれずに
よくみききしわかり
そしてわすれず
のはらのまつのはやしのかげの
ちいさなかやぶきのこやにいて
ひがしにびょうきのこどもあれば
いってかんびょうしてやり
にしにつかれたははあれば
いってそのいねのたばをおい
みなみにしにそうなひとあれば
いってこはがらなくてもいいといい
きたにけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい
ひどりのときはなみだをながし
さむさのなつはおろおろあるき
みんなにでくのぼうとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい
なむむへんぎょうぼさつ
なむじょうぎょうぼさつ
なむたほうにょらい
なむみょうほうれんげきょう
なむしゃかむにぶつ
なむじょうぎょうぼさつ
なむあんりっきょうぼさつ

雨ニモマケズの意味について

この詩は、困難や苦しみに負けずに、前向きに生きようとする姿勢を表現したものです。雨や風は、困難や苦しみの象徴として捉えられます。そして、それらに負けずに生きようとする姿勢は、困難や苦しみに打ち勝とうとする意志の表れです。

また、この詩には、自然との関わりも深く描かれています。雨や風は、自然の恵みであると同時に、自然の脅威でもあります。しかし、それらに負けずに生きようとする姿勢は、自然と共存し、自然を大切にしようという思いの表れでもあります。

この詩は、困難や苦しみに直面したときに、勇気や希望を与えてくれる言葉として、多くの人々に愛されています。

  • 原文では、「ヒドリ」と書かれていますが、これは「日照り」の誤字であると考えられています。
  • 詩の最後にある「そういう者に私はなりたい」というフレーズは、宮沢賢治の、理想とする人間像を表現したものです。

宮沢賢治について

宮沢賢治は、1896年(明治29年)に岩手県花巻市に生まれました。幼い頃から自然や文学に親しみ、1914年(大正3年)に岩手県立盛岡中学校を卒業した後は、東京の早稲田大学に進学しました。しかし、大学を中退して帰郷し、農学校の教師や農業技師として働きながら、詩や童話を執筆しました。

賢治の詩は、みずみずしい言語感覚と奔放な想像力に満ちており、自然や人間の心の奥深さを描いた作品が多くあります。また、童話は、独特の幻想的な世界観と、人間の生き方や社会への鋭い洞察が魅力の作品です。

賢治は、生前はあまり知られていませんでしたが、死後、その作品は徐々に評価されるようになり、現在では日本を代表する詩人・童話作家の一人として知られています。

賢治の作品には、以下のような代表作があります。

詩集:『春と修羅』『銀河鉄道の夜』『雨ニモマケズ』など
童話:『注文の多い料理店』『風の又三郎』『どんぐりと山猫』など

賢治の作品は、多くの人々に愛され、さまざまな形で表現されています。例えば、詩や童話は、絵本やアニメ、映画、舞台などさまざまなメディアで制作され、多くの人々に親しまれています。また、賢治の思想や生き方は、教育や環境問題など、さまざまな分野で注目されています。

宮沢賢治は、今なお多くの人々に影響を与え続けている、日本を代表する作家です。